sumatra and cinnamon

私の好き勝手な空間。想いと知恵と発見をつらつらと。

社会不適応な私


前々から、好きなことには、突っ走って何処までも努力できることだけが、取り柄でした。

学校をサボるようになったのは、高校生の頃から。

大勢の人に会うのが、怖くて、嫌で、
学校を、サボっていました。

大学生になってからもそう。

学校にいると、小さないろんな事が気になって、なんだかすごく気を遣っちゃって、

笑いたい日だと、みんなと笑って楽しいんだけど、
笑いたくない日だと、心がズキズキと痛んで、それでもみんなに変な気を遣わせたり、空気を壊したくないからって、愛想笑いができちゃう。そんな事を予想するだけで、疲労感が読めて、怖くなって、結局学校を休んでしまう。

最近は特に酷い。

授業にでれたとしても、本当に端っこに座っていたいし、突っ伏していたい。なのに、寝てると起こしにくる先生や座席指定の教室。我慢できない。

二年生になって、ある団体の代表になって、
毎日毎日、イライラしたり、ものすごく疲れて、それでも、ポジティブにポジティブに、って自分で自分を高揚させて、1年半が経った。

それが引退とともに、一瞬で溶けて、
堕ちるとこまで堕ちて、
そしたらまた這い上がれるんじゃないかな。って思ってたのに、

学校にいくことも、バイトにいくことも、ご飯を食べることも、寝ることも、
なーんにも、できなくなってしまった。

それでも、来年度の教育実習にむけて、必要な単位を取得するために学校に行かなくちゃいけない。
奨学金をもらうために、学校に行かなくちゃいけない。親には、ここまで堕ちていること、知られたくない。

だけど、もう、足が動かない。
きっと、心の中の何かが、動かないことにしてるんだろうけど。









SOMEWHERE

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ハリウッドの有名男優が、娘との再会の日々を通して、忘れていた感情や愛を取り戻していく物語。

人間ってなんなんだろう。
仕事やお金に包まれていると、なんだか満たされたように錯覚して、本当の愛とかの感情を感じられないほど麻痺していく。

でも、その麻痺を溶かすのは、一瞬のできことや勇気。本当の愛は、お金や所謂、ありがち社会に負けないと私は信じています。

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主人公はお父さん。

私は、お父さんとまともな会話をしたことがありません。お互いに強がりなシャイで、在り来たりな話をすることしかない。夢の話や学校の話など、核心についたことは話さず、テレビに出てくる人が結婚したとか、そんな話しかしません。

お父さんだけじゃない、お母さんともです。ずっと話してこなかった分、私と両親の間の思考の溝は深く、自分の想いを理解してもらえないと思って、隠しています。
妹には、最近、思ったことを言えるようになりました。私はものすごい泣き虫で、自分の本音を言うだけで涙が出るほどです。だけど、妹には、涙を見せずにいろんなアドバイスやらを伝えることができることに、気がついたのです。

私は、家族が、喧嘩をしている時、その解決法を知っていながら、ベット中で泣いています。

そんな私にとって、父と娘の親子愛の壮大で確実なことを描いたこの作品は、一瞬の憧れでした。

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21歳になって、今更巻き戻しできない人生、
何も起こらないからいいものの、
何か起こった時に私はしっかりとしていられるか。
ものすごく不安で、曖昧です。

全然レビューじゃないです。
ごめんなさい笑



かわいそうだね?/綿矢りさ


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二股をかけられらてる疑惑のアパレル店員、
樹里恵の話。

性格の悪い女っていうのは、お決まりで小説に登場するけど、
樹里恵は、そんな単純な女じゃない。

確かに、人を小馬鹿にすることもあるし、
嫉妬もきちんとするから性格の悪い女 の条件は、持ってるけど、
私が彼をわかってあげなくちゃ。っていう母性本能みたいな素直な優しさもあって、それが実に樹里恵をリアルへ近づけている。

二股疑惑の女、アキヨさんは、いわゆる天然。って言われるタイプの人。

樹里恵みたいに優しくて母性本能のある人と、
アキヨさんみたいに天然で自由奔放な人、
どっちが可愛がられるでしょうか。

その答えはとても理不尽である。

登場人物の存在がリアルすぎて、というか、
自分と重なったりするところもあって、
話にどっぷりハマってしまう。
いつのまにか、樹里恵と同じ気持ちになって、ゆーっくり、彼氏の家の扉を開けるのを緊張して息を呑んでる自分がいる。
そうやって、ほぼ自分のものがたりのように感じられるようになったところで、
樹里恵がぐっちゃぐちゃに暴れ出す。
私も同じタイミングで心が暴れる。
だけど、樹里恵は、私より何百倍もハードに暴れる。
だから、スッキリするし、面白くて、笑える。


樹里恵『ゴキブリが出ても叫んではいけない女は、必ずいる。』

その通り。




海街diary

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20150613 上映初日に観に行きました。

結構見に行った人が多いようで、
レビューを交換したりしますが、

良かった という人もいれば、
いまいち という人もいます。

ちなみに、私は良かったという人です。
そんな私のレビューを聞いてください。

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物語は、広瀬すず演じる、すずとの出会いから始まる。

綾瀬はるか長澤まさみ夏帆の三姉妹の父を同じくする、腹違いの妹すずは、父の死をきっかけに三姉妹の暮らす鎌倉に引っ越してきて、
そこから始まる日々を、日記、diaryのように綴った物語。

diaryだから、些細だけど、なんだか大切な出来事が断片的に並べられている。物語としての刺激的な面白さや感動はない。
だから、終わりはしっくりこなかった。芝生の上で寝ているのがなんとなく気持ちよくてやめられないけど、自らやめようとしないときりがないから、ここでやめよう。っていうのに似ていた。

一番すごいなあと思ったのは役者たちがありのままでありながらも、本物の姉妹のように見えたことである。
長澤まさみは、何も演じていない素の長澤まさみのようで、また、広瀬すずも素の広瀬すずのようなんだけど、長澤まさみ広瀬すずが本物の姉妹に見えたということである。
これは、演技力というのだろうか。

また、役者について言えば贅沢すぎである。脇役として、大竹しのぶ樹木希林加瀬亮が出演している。


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それから、やっぱり好きだなあとおもったのは、
菅野よう子のサントラ。

落ち込みそうなんだけど、ギリギリ悲しくないメロディーは、姉妹たちの心を表現してるようである。
それぞれちょっとずつ悲しみを抱えてて、でも姉妹といることで、あったかい幸せを感じられる。

お互いのことを理解していて、心の底で繋がっている姉妹の絆は、不安定だけど流れ続けるリズムに表現されているように感じられる。

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最後に。やはり鎌倉での生活は、羨ましい。
友達とも恋人とも家族ともいくのは、やっぱり海だ。

花火を見に行くのに、浴衣をきる。草履がアスファルトを撫でる音は、どこか涼しげで、なんとなく可愛いを連想してしまう。

家でつくる梅酒は、お酒が苦手な私にも、なんだかすごく美味しそうに見えてきた。
(早速梅酒づくり始めました。)

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物語として、何かが伝わったわけでもなければ、映像がすごく良かったわけでもありません。
それでもこの映画がとても良かったと思えるのは、海街diary醸し出す雰囲気は、日本人の誰しもにとって、時々必要なものなのような気がするからです。
ちゃぶ台を囲って飛び交う会話、海の音、手作りの梅酒、お気に入りのアジフライ定食、夏祭り、は、日本人の心を癒すものなのではないかと思います。そんな癒しがたくさん詰まった映画だからこそ、ちょっと忙しい毎日に疲れてる人にみてほしいです。













ナイキ エアリフト

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ずっと欲しかったエアリフトを購入。
本当は黒が良かったけど、
ピンクの方が私らしいよねっ💓 と
自分を納得させました。

親指と人さし指が分かれる足袋の形は、
とても落ち着く。
やっぱり日本人なのかなー🍣って思うけど、
これは、
ケニアの裸足で走る人からアイディアを得ている。
エアリフト のリフトという文字も、
グレートリフトバレーのリフトで、
エアリフト の曲線もその象徴らしいです。

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とっても軽くて足にぴったり
フィットしてくれるいいやつ。

陸上部だったあの頃、
ランシュが相棒だったけど、
履いた瞬間に相棒チェンジです。

家の中でも履いてたい。






十字架/重松清

中央線 中央特快 東京行き

ぼとん。っと
本の落ちる音。

前に座っているおじさんが本を落とした。

すかさず拾う。

水色の表紙
《十字架/重松清

おじさんに親近感が、湧く。

私もこの本読んだことある。

これは、いじめと自殺の話。

私は昨日いじめによる自殺の記事を授業で読んだ。
いじめに加担する教室。
棺桶の中の自殺した子を写メる小学生。
ぞっとした。

だけど、重松清の書くいじめは、
新聞記事のように、誰かを
信じられない悪もの。
にしようとはしてない。

自殺した少年
少年の父
少年の母
少年が、片思いしていた少女
いじめをしていた少年
いじめの現場だった学校
記者

それぞれの気持ちが、
わかるよ。と理解できる。

でもいじめってそうゆうものなのかもしれない。
誰か悪ものがいるわけじゃない。

やむを得ない。
とは、言いたくないけど、
加害者だって、なにか辛いことがあったんだ。

だけど、実際は、そんな風に思えない。
加害者は、やっぱり悪ものに見える。

私もいじめを受けたことがある。
辛い。というより、暗かった。

いじめている人、
いじめられてる人、
それを見てる人 からは、
やっぱり黒い空気が漏れるから
教室は、暗かった。

重松清との出会いもちょうどこのころだった。
《きみの友だち》
という本だった。

私は省かれないように上手に笑った。
みかんの種を投げられても、いじめと認めたくないから、もう!って怒って笑った。

小6の時点で、だいぶ人間はずるくて汚かった。


「わたしは「みんな」を信じない、
だからあんたと一緒にいる――。」

きみの友だちの中で主人公のいう言葉だ。

私も、あんた が欲しかった。
けど、どこにいても落ち着かなかった。
みんながみんな、自分を一生懸命守ってた。
教室には地雷がたくさん落ちているから、
人の話なんて聞いちゃいられなかった。

だから私は好きだった。
授業中にある子のノートを覗くのが好きだった。
なんでだろう、それが一番落ち着いた。

《きみの友だち》をよんで、
クラスのみんなは、それぞれの変な事情を抱えていることがわかった。

私は毎日もらう手紙をひたすらに破った。
人の秘密と難しい人間関係を破った。
なにもかわらないけど、すっきりした。

あんまり話さない、いじめの話。







私以外私じゃないの


おまえの世界に
存在しない
俺の世界の
ほぼど真ん中
ガムを噛んでいる



昨日怒り新党という番組をみていたときに
共感してしまった、斎藤斎藤の現代俳句。

というのも、最近そんなことを考えていたからだ。



私の世界の中心は、私であって、
私が歩くと、私の世界の中心も移動する。

私の世界の中心に、誰かをよびたくなっても
それは不可能だ。

それは、私だけの話じゃない。
人間一人一人みんなそう。

世界の中心と世界の中心がすれ違うなんてのは、
よくある話。

この電車にのってる人にも
みんなそれぞれ世界の中心がある。

だけど、それは、物理的なもの。

一方、
心は自由に動き回れる。

お金がないと飛行機にのれなくて、
体は、アフリカにいくことはできないけど、

心は、自由。

行きたい時に、お金にもなんにも束縛されずに、
アフリカまでいける。

だけど、心は目に見えないから、
アフリカに行っても、他の人に認知されない。

それが、ちょっぴり切ない。


最近は、変なことばっかり考えてる。